「本当に無差別なのは通り魔だけでは無いのか」とふと思ってしまった。
やはり、無差別が正しいとするのは無理があるのではないか。定期的に考えてはいるが、皆が皆を平等に扱うのは不可能だ。
現状の結論としては「差別は無くせないし、無差別を強要するべきでは無いが、攻撃的な差別は自分が被害者になりたくないので、間違っているべきだと思うし、中身を知れれば対応も変わってくる」といった感じ。
見た目が己からかけ離れた存在、象やキリンなどの動物に、親近感は湧かない。
何かしら外見や中身、得られる情報に共通点がなければ、関わろうと思わない。
かといって、似すぎるのも問題なのだが…
もしかしたら、嗜好趣味が似ていて気が合うかも知れないが、一切関わることなく、初見で得られる情報は見た目だけ。中身よりも外見の優先度が圧倒的に高く、深く関わり、見定めるよりも、一瞬で判断した方が圧倒的に効率が良い。
その判定、好み、経験則、偏見こそ差別である。同じ映像が見えていても、同じ思考、感情が渦巻く訳では無い。イケメンってなぁに… 年齢見た目で分かるのってなぁに…
正直、「見た目の条件」を満たした上で中身を知る事はあっても、中身を知ってから見た目を知る事は現実的に殆どありえなかった。ネットが普及するまでは。
中身を最初に知ってもらえる、見た目に左右されないSNSが流行するのも頷ける。
また、オリンピックは「国籍が同じ選手」が出場するスポーツであり、その定義は非常に納得がいく。ただ、個人種目があれど、チームとしての統一感を表せる材料として外見が選ばれる。全員の見た目が同じなら、どこを応援しても変わらない気がしないだろうか。
ただ、これからも混血は続いていくのでいずれ見た目の重要性は薄れるだろう
名称だけが全てじゃない。それだけじゃ中身は分からない。
それでも名称には強い影響力があって、相手の行動を無意識に制限する。
XではなくY、良いイメージがありそうな名称を使う、想像しにくい名称を使う。
内容は似ているものの「スマイルプリキュア」がバレた時の方がメンタル崩壊した。
趣味や行動は自由です。強く生きましょう。
過去に自分の出身国の人間が何をしたかなんて興味は無いし関係無い
歴史の流れ自体は参考になるが
確かにやや気まずいが、その地の人間に何かしら要求している時点でそれは差別である